快晴の日曜日、市内倭文(しとり)の旧加藤家住宅で、ちょっとした力仕事があったものだから、研究室の6名で支援活動をおこなってきた。支援活動は調査・研究活動と同等の比重があり、両者は相互補完的な役割を担うべきなんだ、と、常々わたしは学生たちに言っている。従来、フィールドワークを前提とする研究領域(民俗学・人類学・考古学・建築史等)にあっては、「調査する側」がほとんど一方的に「調査される側」を情報源としてデータを搾取し、論文や報告書を著すことによって、自らの地位を向上させてきた。このままでは、「調査される側」にほとんど何の恩恵もない。だからこそ、「調査する側」から「調査される側」への支援活動が重要な意味をもつ。たとえば、4月の河本家住宅(琴浦町)の場合、民家公開に先立つ屋敷地の清掃に参加させていただき、今回の旧加藤家では植栽の移植を研究室メンバーがおこなった。こういう支援活動によって、「調査する側」と「調査される側」に融和がうまれ、「地域密着」と呼ぶにふさわしい研究拠点が現場に形成される。わたしは、勝手ながら、こういう関係を築きあげた研究対象家屋等を、フィールド・サイトと呼ぶことにしている。
さて、倭文の旧加藤家住宅は、昨年度の委託研究「鳥取市歴史的建造物等のデジタル処理による目録・地図作成」によって、旧市内に所在する約700件の歴史的建造物を調査するなかで発見された希有の建築遺産である。今は空き家となっているが、鳥取藩御殿医の旧居であり、その建築年代は18世紀にさかのぼる。外観は茅が葺き下ろされ、トタン葺きに変わったため、多少味気ない感も否めないが、オクノマ(座敷)から縁を通してみる池庭の風情は絶品である。鳥取藩御殿医の旧居という由緒に加え、建築年代の古さ、座敷や庭の芸術性を総合的に判断するならば、県市クラスの指定文化財、あるいは国の有形登録文化財となっても、なんら不自然ではなく、所有者・管理者の方も文化財としての指定・登録を強く願っている。
浅川研究室では、昨年度までに数度の調査をおこない、このたびその調査成果と再生計画を公刊した(『GPS&デジタルカメラによる鳥取市の文化財建造物MAP作り 付録:旧鳥取藩御殿医住宅の再生計画 Reversible Rehabilitation 』2005)。
空き家を管理するKさんは、この報告書の刊行をいたく喜ばれ、このたびも追加で10冊お渡しした。保存の意欲、ますます高揚の一途にあるその一方で、不同沈下による軸部の傾斜やトタン屋根の雨漏りが深刻化している。県市の担当部局による適切な行政措置の遂行を切に願う次第である。
下は、お昼弁当とおやつを頂戴しているシーン。ケヤキ板の縁に腰掛け、庭と借景を望みながらいただくお弁当の味は最高である。これ以上の贅沢はない。昔はみんな、こういう空間をもっていたのに、いまはそれを失って、失った空間の大切さに気づかなくなっている。残る晩年、なんとかそれを取り戻したい。


旧加藤家の庭と支援活動

- 2005/07/24(日) 23:16:18|
- 地域支援|
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