
一昨日の「
倭文日誌」でレポートされているように、加藤家の屋根裏で3体の「上」さまが発見された。木製の小箱が梁組の東南隅と西南隅およびほぼ中央の位置のあわせて3ヶ所部材に打ち付けてあった。その小箱をとめる釘には一部に和釘が使ってあり、設置された当初時期がかなり古いことを示している。
昨日のゼミで、その木箱を調査した。まず西南隅の箱を部材がとりはずし、その中をみると赤色の札に「上」と墨書されている。次に東南隅の箱をあけると、こんどは朱色の札にやはり「上」と墨書してあった。中央の箱については、梁の側面に打ち付けてあったのだが、箱下面の板がとれていて、中の札が失われていた。

↑東南隅「上」様とりはずし ↓中央の「上」様

ところが、池田住研のNさんがその梁の真下を箒で探しまくったところ、そのお札がみつかった。札の表面の紙がはがれていて、色彩は不明ながら、その中から得体の知れない紋様が姿をあらわした。何か咒(しゅ)をあらわすものだろうが、なんだかわからない。わたしの学問では手に負えないので、民俗学の専門家に問い合わせてみよう。
あるいは読者のみなさま、この妙な記号について情報をお持ちでしたら、是非ともコメントをお寄せください。

↑東南隅の「上」様 ↓西南隅の「上」様


↑↓中央「上」様のご神体?

古材倉庫の建設も急ピッチで進んでいる(山田班)。
- 2006/12/01(金) 00:07:17|
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