夕方、奈良に戻ってきた。患者は一足先に帰宅して、ソファに横になっている。今週末も2泊許可されたという。
「杖を買っておくように」
というのが病院側の指示である。いま使っている杖は病院からの借り物だから、そろそろ自分の杖を用意しておきなさい、ということだ。ひょっとすると、これは退院の準備なのかもしれない。
患者は、あいかわらずソファでべたっとしている時間が長いけれども、フロアに坐りこんで洗濯物を畳んでみたり、「明日はゴミ出しの日だよ」と言って新聞紙や段ボールの束を片づけしている。おまけに、「はいっ、これを玄関まで運んでおいて」という指令まで発してくれるから、移動で疲れている主人は、いささか辟易し、
「あのな、そんなに家事のこと、気にしなくていいから、おまえは休んでなさい」
と言って患者をできるだけ休ませようと心がけた。こう諭さない限り、わたし自身が休めないからだ。

さきほどBS2で杉田二郎のライブを放送していた。杉田二郎といえば、ジローズ時代の「戦争を知らない子どもたち」が有名だが、コンサートのオープニングを飾る曲は、
「風」
だった。「風」は、はしだのりひこ&シューベルツのデビュー曲で、1969年に大ヒットした。小生、当時、中学1年生。はしだのりひこは、「帰ってきた酔っぱらい」(おらは死んじまっただぁ・・)」でお馴染みのフォーク・クルセイダーズ(フォークル)のメンバーだったが、だれがどうみても、加藤和彦と北山修の付け足しでしかなかった(実際、2004年のフォークル再結成でも、はしだは呼ばれていない)。フォークル解散後、シューベルツ(Shoe Belts=靴のひも)を結成し、「風」の大ヒットで紅白歌合戦にも出場した。杉田二郎は、アマチュア時代のジローズからシューベルツに引き抜かれ、サイド・ボーカルとサイド・ギターを担当した。が、歌唱力は、だれがどうみても、はしだを上まわり、3曲めのシングル「白い鳥に乗って」では作曲とリードボーカルを務めた。のちにジローズを再結成。デビュー曲の「戦争を知らない子どもたち」が爆発的にヒットし、ジローズはレコード大賞新人賞、北山修は作詞賞を受賞している。
その杉田が自作ではなく、はしだ作曲の「風」をコンサートのトップにもってきたのは、その後の歴史を知る我われにはやや不自然に映ったけれども、そういう感慨は別にして、わたしは知らず知らず、杉田の歌唱にあわせて懐かしい「風」を口ずさんでいた。
ところで、加藤和彦からはしだのりひこ、杉田二郎らに至る初期フォークソングのヒット曲は、あるコード進行を基本としている。Cをベースとする曲ならば、C→Em→F→G7がかれらの作品の循環コードであり、「風」はその代表曲と言ってよい(「風」はA→C♯m→D→E7)。このほか、「戦争を知らない子どもたち」「あの素晴らしい愛をもう一度」「花嫁」もまったく同一の循環コードの曲である。

一方、「風」の詞は北山修の代表作で、多くの人の胸を打った。
人はだれもただひとり旅にでて 人はだれも故郷を振り返る
ちょっぴり淋しくて振り返っても そこにはただ風が吹いているだけ
わたしも、この曲が大好きだったのだが、あるとき「そこにはただ風が吹いているだけ」というフレーズが、ボブ・ディランの「風に吹かれて」を意識したものであることは間違いないだろう、と思うに至った。北山は人生を詠い、ディランは反戦を歌に託した。歌詞の目的は異なるけれども、北山がディランの詩を知らなかったはずはない。
ちなみに、わたしがシューベルツの作品で好きだったのは、2曲目のシングル「さすらい人の子守唄」(G→C→D7→G)、NHKみんなの歌で愛された「ひとりぼっちの旅」(D→F♯m→G→A7)、若くして亡くなったベースの井上博のソロ「夢の女(ひと)」(G→Bm→C→D7)の3曲である。聡明な読者ならお気づきのように、「ひとりぼっちの旅」と「夢の女」は例の循環コードに倣っている。このコード進行を使えば、さわやかなフォークソングができあがり、実際に70年代の日本では「売れた」のである。
さて、
御所野からは、ストーンサークル(墓域)周辺の掘立柱建物2棟が完成したという報が届いた。寄棟の隅、すなわち降り棟の樹皮葺きが難しい。絆創膏を貼ったようにみえてしまう。いずれ馴染んでいくだろうが。
- 2006/12/02(土) 00:33:02|
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