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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

旧佐治村指定建造物の調査

 先週の下見調査に引き続き、本日、佐治町の旧村指定文化財(現・市指定文化財)建造物の第2次調査をおこなってきた。加瀬木の笹尾神社薬師堂を浅川、阿部、大城、奥田、高山の林泉寺山門を宮本、西垣、河田、森川、吉村が調査した。笹尾神社の境内には、本殿・拝殿・お籠もり堂のほか、江波から移築された福善寺の薬師堂と鐘楼が建っている。薬師堂は3間四方の密教系仏堂で、安政二年(1855)の改築(移築?)とされる伝承を残す。向拝や内陣の絵様をみると、幕末よりも古い様式を示しており、建築年代は18世紀にさかのぼるであろう。よくみると、内陣の来迎壁に棟札類が3枚打ち付けられており、これを裏返すことになれば、おそらく再建の年代を確定できるので、後日、棟札調査をおこないましょう、と氏子総代の一人、木村さんにお願いした。
 鐘楼は年代を示す絵様や彫刻がまったくないので、いつの建立なのかは不明だが、材が薬師堂と同じケヤキで風蝕の度合いも近似している。薬師堂と一括して移築されてきた可能性が高いように思われた。拝殿・本殿もなかなかの作品。おそらく幕末~明治初の建立で、本殿は千鳥破風・唐破風付き入母屋造の軒下に禅宗様の三手先を配する宮殿(くうでん)型。覆屋のなかにあって、保存状況も悪くない。

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 さて、学生と一緒に調査に行くと、結局、わたしがいちばんこきつかわれる。こきつかっているのは誰かというと、結局、わたしなのだから、これはどうしようもない。とくに3年生の演習は絶望的で、実測のスピードは遅く、間違いも多く、計り漏れも少なくないのだが、それを細かく指導しているだけの余裕がない。1ヶ所で調書を3~4枚取り、デジカメとF4で写真を撮影しまくり、合間を縫って学生の図面をチェックしていると、いつしか頭も体もふらふらしてくる。そんな折り、「お腹が痛い」と言い出す学生まであらわれた。フィールドワークの慣例に従い、
  「森のなかに行って、野糞で済ませろ」
という指令を下したところ、
  「そんなこと、したくありません」
と反論するので、
  「いったいわたしが平城宮跡で何度やったか、西安の高速道路の側溝ですらやってことがあるんだぞ」
と説得をくりかえすも、敵もなかなか頑固で譲らず、仕方がないから、自動車に乗せて近所の診療所のトイレまで連れていき、帰りの車内で正露丸をのませた。

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 そうこうしているうちに、午後5時になった。4時間の調査成果は、平面図2枚、断面図1枚、屋根伏図1枚。林泉寺に移動すると、宮本グループはまだ鐘楼門(山門)を計っている。こちらは女子学生軍団で、宮本はせっせと彼女たちを指導しているが、西垣の書いた調書は真っ白けで、そのブランクを埋めたのは、もちろんわたしである。この山門は梵鐘鋳造の元禄初年(1688)と同時期の建立と推定されている。積極的な根拠は乏しいけれども、虹梁の絵様は丸みを帯びて古式を示し、2階の火頭窓は幅広で中世的な匂いもする。指定の2年前にあたる昭和51年には、村大工により解体修理がなされており、このとき小屋裏に筋交状の補強材が加えられた。ところが、その上に「棟札」と墨書された箱が打ち付けてある。薬師堂とあわせて、林泉寺でも棟札調査をおこなわせていただきたい旨、ご住職にお願いした。
 帰路は、高山から津野、津無に上がって、河原町の神馬(かんば)にでた。このあたりの風景がとても好きだから、夕暮に車を走らせたかったのである。
 夏の佐治は美しい。


 野帳の出来映えは、女子学生軍団の圧勝でした!

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  1. 2005/07/25(月) 21:44:57|
  2. 建築|
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