
「羨ましい。僕は植物を育てた事はないんだ。そう言う役割じゃ無いから。」
これこれ、とヴィオレットはもう片方のポケットを探る。ポケットの中からはメアリの小指ほどの大きさの小さな小さなガラスの瓶が出て来た。瓶にはバラの形の紋章が金箔で捺されているラベルがはってある。
「これは僕がもっている宝物の中でも特に大切なものの一つ」
ほら、嗅いでみて、とヴィオレットは蓋をあけると瓶をメアリの鼻先に近付けた。メアリは軽く息を吸い込む。
「まあ」
ほのかにほのかにバラの香りがして、思わずメアリは目を閉じた。閉じた瞳の裏側に夏の始まりの燃えるような緑色と澄んだ青色がするりと広がって消えていく。
「すばらしいだろう?その春一番に開いたバラの花についた朝露だけを、集めたものなんだ。」
丁寧に蓋を閉めなおすと少年はまた小壜を仕舞った。
「とても良い匂いねえ。ママの香水よりずっとずっと素敵な香り。」
これを手に入れるのは大変だったんだからね、と少年は胸をはって笑った。
「そのたった一オンス手に入れる為に星屑十粒と凍りレンズ三枚と雪の花までおまけに付けたんだよ。」
星屑に凍りレンズ?メアリが首をかしげるのに気付かず、ヴィオレットは残念そうにため息をついた。
「僕はどちらかというとあまり花には縁が無くて。こういうものを見つけるとつい無理して手に入れようとしまうんだよ。」
花に縁がないとはどういう事だろう。メアリは上着の前を掻きあわせながら少年に尋ねる。
「花は好き?」
少年はその空色の瞳を細めてうっとりしたように答える。
「勿論さ。色、形、そして匂い。どれをとって素晴らしいものだと思うよ。」
でも、と少年は続ける。
「残念ながら今の時期、あまり花は咲かないからね。木々の緑でさえ雪の白の中に姿を隠してしまうから。」
雪の銀白も好きだけどね、春や夏の鮮やかさには憧れるなあとヴィオレットは瞳をきらきらとさせる。どうもこの少年は冬以外に出歩く事が無いらしい。メアリが何故と聞いても、そういう役割じゃないからねえ、と少年は笑うだけだった。

「あのバラは何色の花が咲くの?」
少年は少し唐突に話題をかえた様な気がした。はぐらかす様な会話がメアリはもどかしかったけれど、どう聞いたら良いのか分からなかったので大人しく問いに答える。
「赤い花を咲かすわ。でもちょっとオレンジ色っぽいの。とっても綺麗よ。」
ふうん、見てみたいなあ、と少年が呟くのを聞いてメアリは良い事を思い出した。
「ちょっとまってて」
と言いおいてベットからおりると机の本立ての所に向かう。少年は青い瞳できょとんとしていた。少女がかかえて戻って来たのは一冊のスケッチブックだった。焦茶色の綴じ紐をしゅるりと解く。今度はメアリが見せる番だ。
「ほら、私が描いたの。あのバラの絵。」
スケッチブックのうす黄色い紙には金赤色のバラの花が丁寧に写されていた。鉛筆のラインのうえから水彩絵の具が鮮やかに花を彩っている。
ヴィオレットは声も無くその紙上のバラを見ていた。あまりにジッと見ていたのでメアリはやっぱりへたくそだったかしら、と不安になる。スケッチブックを引っ込めようとした時、ようやくヴィオレットが声をだした。
「…わあ、上手だねえ。感動した。すごいじゃないか。」
少年はスケッチブックを手にとって月の光に当てる。メアリはほっとしたのと、ほめられて嬉しかったのと恥ずかしかったのとでなんだか手足がむずむずして来た。手を擦りあわせていると、スケッチブックから目をあげたヴィオレットがはっとしたように声をあげた。
「ああメアリ、寒いね。御免よ。月も結構傾いているなあ、気付かなかったよ。」
もう眠らなくては、といったヴィオレットはまだ名残惜しそうにスケッチブックを眺めていた。うーん、と顎に手を当てている。その様子を見ていたメアリは思わず笑ってしまった。
「そんなに気に入ってくれたんならその絵、あげる。」
え、とヴィオレットはメアリの方に目線をあげた。
「いいの?せっかく描いたんだろう?」
たしかにそれは自分でも良く描けたと思った絵では有ったが、ヴィオレットが気に入ってくれたのでメアリは嬉しかった。
「いいの。今日の記念に。あげる。」
ヴィオレットは複雑そうな顔でむうと唸る。
「お礼になにかあげたいんだけどね、君たちとは取り引きしてはいけないと固く禁じられているんだよ。」
妙な「役割」のうえにそういうルールまであるらしい。いいの。とメアリが笑うと、ヴィオレットも笑って丁重に礼をいった。
(続)-KA- *童話『雪の夜』 好評連載中! 「雪の夜」(Ⅰ) 「雪の夜」(Ⅱ) 「雪の夜」(Ⅲ) 「雪の夜」(Ⅳ)
- 2006/12/15(金) 20:58:44|
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