
今し方まで眠っていた。教授室の椅子を横に並べ、そこに俯せになったまま2時間の睡眠。いつもは椅子を4つ並べるのだが、今日は3つにしたのでバランスが悪く、もうひとつ寝心地がよくなかった。
2時間半前にゼミの
忘年会が終わり、元気のいい連中は2次会に繰り出していったが、わたしは疲れていたので、チャックの車で大学に送ってもらった。今年の忘年会の幹事は3年女子。会場はしいたけ会館近くの「くま」という居酒屋であった。
会場には、ずっと昭和の演歌が流れていて、どうしてまたこういう会場になったのか、と思っていたら、まもなく学生たちのカラオケがその演歌を消してしまった。いや、結構です。そうそう、今年もまた
誕生日のプレゼントを学生諸君から頂戴した。創業明治十年日本橋國「味岡革鞄」の名刺入とキーホルダー。牛革製の高級品だが、小物なので、すぐに無くしてしまいそうで、ちょっと心配だな。また、OBの西垣くんからも
ダイアナ・クラールのCDがプレゼントとして届いていてた。いや、みなさん、まことにありがとうございます。こんどの誕生日で、めでたく50歳だ。

昨日は午前に鳥大地域学部の大学院で講義をおこなった。「環日本海文化論」というタイトルのオムニバス講義で、シラバスらしき資料をはじめてみたときの正直な感想は、「?・・・?」。これ以上なにも言わないが、「?・・・?」という感想を抱いていたのは、わたし一人だけではなかったようである。
昨日の受講生は26名。うち中国と韓国の留学生8名と若干の社会人を含む。わたしが得意とする「
理解度チェック」方式を試そうかどうか、悩んでいたのだが、数分を残してスピーチが終わったので、ごく簡単な質問をしてレポートを書いてもらった。結果、本学の学生と比べてどうなのか、と言うと、本学の学生はわたしのスピーチに即した回答がとても多いのに対して、鳥大の院生はもう少し自由度のある回答をしてくる。シニカルな表現も若干含まれている。だから、どうってことは全然ない。鳥大の院生がとくに優秀だとも思わない。ただ、「理解度チェック」レポートの効果はやはりあって、出席者の数と名前をきちんと把握できる。これは講義する側にとって重要なことだ。

それにしても、講義の準備はいつもながら大変だ。わたしの演題は、
「建築からみた環日本海 -アムール流域と朝鮮半島」
で、「
地域生活文化論」講義の3回分を1回に圧縮したような内容にしたのだが、どうも焦点がいまひとつ定まらない。いくつかのパワーポイントの切り貼りで授業資料を作ればいい、と安易に考えていて、資料作成にとりかかったのは月曜日の午前2時ころから。これがなかなかうまくいかない。京都発17:11発のスーパーはくとの車中でも、しばらくパソコンを操作して資料を作り続けていた。姫路をすぎたあたりで、ようやく目途がたち、ほっとしてカニ寿司の弁当を食べたら、そのまま眠りに落ちた。目が覚めたら鳥取駅をすぎていた。おかげさまで、ひさしぶりにJR倉吉駅のプラットフォームに立ち、21:01発のJR快速とっとりライナーに乗って鳥取駅まで戻ってきた。

鳥大での講義を終えたあと、加藤家に立ち寄った。素屋根はすでに完成していて、オモヤのトタン屋根外しが始まっている。どうやら、背面の下屋をまず仕上げ、それから大屋根の施工に移行していくらしい。正直なところ、工程はだいぶ遅れている。基礎・床の修理と立て起こしに時間を要したからだが、問題は居住者のO君1号がどこまで記録を採るか、であろう。卒業論文にとって記録は必要不可欠だが、記録に終始してしまっては論文にならない。可哀想だが、O君に正月はなさそうだ。ほかの4年生もたいして変わらないだろうが。

↑背面下屋での作業 ↓五右衛門風呂は再生可能だろうか?
- 2006/12/20(水) 00:22:30|
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