
それから二日間はまた天気が崩れ、分厚い雪雲が空を隠していた。メアリはヴィオレットの為に春や夏の花を描きながら憂鬱に過ごしていたが、早くヴィオレットに会いたくて何度も窓の外を眺めた。三日目にようやく雪がやんで歪んだ檸檬形の月が姿を現すと、メアリは待切れずに夜も更けぬうちから鏡を窓際においた。夕食をさっさとすませると大急ぎで準備を始める。追い立てずとも風呂にはいり、自ら湯たんぽをつくる娘の姿を不思議そうに母親が見守っていた。
さて、準備もすっかり整い、部屋に戻って来たメアリは湯たんぽを抱えベッドに潜り込んだ。ベッドの横では銀の手かがみが光っている。この前の調子では待人がくるまでにはまだ大分時間があるだろう。メアリはベッドサイドのランプに灯を点して本を読みはじめた。
挿し絵のたっぷり入った分厚い童話集は学校の図書館で借りたもので、遠い国のお姫さまや不思議な生き物が出てくる話である。時間潰しの為に読みはじめたメアリだが知らず知らず話に引き込まれていて、今日は深夜の来訪者に気付くのが遅れてしまった。コツ、コツ、と軽くガラスが叩かれる音が聞こえて、メアリがはっと顔を上げる。
いそいで窓を開けるとヴィオレットが再びノックしようと右腕を挙げた所だった。
「今晩は、メアリ。」
「今晩は、ヴィオレット。」
そういえばいつでもヴィオレットから挨拶をしてくれる、そう思いながらメアリは手早く上着とマフラーを身につける。
「二日間天気が悪かったねえ。元気にしていたかい?」
勿論、と答えるメアリをみてヴィオレットはそれは良かった、と笑った。早速メアリはスケッチブックを取り出して花の説明を始める。
「これはねえ、ヒナゲシの花。春になるとそこら中でひらひらしてるの。とても可愛いのよ。」
「こっちはスイセン。黄色くてちょっとラッパに似てる。」
「アネモネ。これも色んな色が有るわ。死んだ人に贈る花輪はこの花で造るのよ。」
スケッチブックを一枚一枚丁寧に捲りながら、ヴィオレットは興味津々でメアリの話しを聞いた。アネモネはやはり白いまま残されていた。メアリが聞くとヴィオレットは迷いながらもやはりまた赤を選ぶ。
「ヴィオレットは赤が好きなの?」
「赤は好きだけどね。アネモネといえば赤かなあと思って。」
メアリは不思議な顔をした。アネモネは白、黄、紫、桃色、様々な色がある筈だ。
「ああ、知らないかな。僕は花には詳しく無いけどたくさんの国をまわるから、色んな国に伝わる話は結構しってるんだ。アネモネにまつわる話は多くて、其の中の一つにこの花は血から生えたと言う話が有るんだよ。」
それで赤色を選んだんだ、とヴィオレットは説明してくれた。アネモネは可愛い花なのに血から生えたなんて意外だった。メアリは少し驚く。
「美しい少女が姿を変えた花だという話しもあるけどね。人のこころを捕らえる花だからこそ色んな話がつくられるんだろうね。」
そうね、私もアネモネは大好き、と言うと、少年はにっこり笑った。

次にヴィオレットに会ったのは、ちょうど月が半分になった夜だった。
今日の花はクロッカスだ。クロッカスは花も可愛いけれど、あの小さな球根がなんだか愛おしい。
「ね、雪の花って何?」
ああ、といってヴィオレットがポケットから取り出したものは、小びんだった。小びんのなかに砂の様なものが入っている…いや、それは雪の結晶だった。たくさんの小さな雪の結晶が小びんのなかで互いにくっついてしまう事無く砂のようにさらさらと音をたてていた。
「これは凍りガラスでビンを作ってあって、中の温度が常に氷点下なんだ。よりぬかれた美しい結晶をあつめてビンの中に閉じ込める。」
この作業は雪が降ってる日しか出来ないからね、たいてい月の無い日に作るんだ、といってまた例のレンズを取り出す。
「これでひと粒ひと粒結晶の形をチェックして作るんだよ、凍りガラスはこの凍りレンズを掘る時にとれるもので凍りレンズの周りの氷はたいてい凍りガラスになってる。」
聞かれる前にいっとく、とヴィオレットは笑った。ヴィオレットに渡された小びんはひやりと冷たく手の先の熱を奪う。結晶が月の光でチカチカと瞬いた。
「ヴィオレットは曇りの日は何をしているの?」
「別にいつもと変わらないよ。夜になると外にでる。何か素敵なものを探す。ただメアリに会わないだけだね。」
その答えは意外だった。クロッカスをぬっていた手をとめてヴィオレットの顔を見る。
じゃあ、どうして月の有る日しか会えないんだろう。メアリは不思議に思った。翌日がちょうど曇りだったので試しに鏡を窓際に置いてみる。しかし、その日は何時になってもヴィオレットがあらわれる事は無かった。
(続)-KA- *童話『雪の夜』 好評連載中! 「雪の夜」(Ⅰ) 「雪の夜」(Ⅱ) 「雪の夜」(Ⅲ) 「雪の夜」(Ⅳ) 「雪の夜」(Ⅴ) 「雪の夜」(Ⅵ) 「雪の夜」(Ⅶ) 「雪の夜」(Ⅷ)
- 2006/12/27(水) 00:15:03|
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