
午前10時の飛行機で関西空港から出国しようとすると、早朝5時半には起床しなければならない。そして、6時半までに西大寺発の近鉄急行に乗らないと、出国2時間前までに関空に到着しない。海外渡航の場合、「2時間前」集合は常識であり、これを舐めてかかると、どえらいめにあう。列車やバスの遅れ、交通事故、出国手続き者の長蛇の列など、スケジュール進捗の障害たりえる要素はいくらでもころがっているからだ。わたし自身、自ら率いた西北雲南調査隊が1993年に「全員乗り遅れ」という悲惨な状況に陥った経験がある。「2時間前」をめざして行動すれば、大抵の障害はなんとかクリアできる。ボーディング時間に間に合うのである。
それにしても早起きは辛い。実質の睡眠は2時間ばかり。長女に西大寺まで送ってもらい、予定どおりの時間に関空に着いた。年末の渡航はチケットが入手しづらく、たいてい旅行社のフリーツアーを使う。名目上の団体ツアーだから、関空に着いたら、まずは団体専用のカウンターに行く。そこで、航空券やバウチャーをうけとった。時間が余ったので本屋に入った。たまたま立ち読みし始めた文庫本がおもしろかったので買ってしまい、出国手続きをしてからも読み続けていた。飛行機が飛んでもまだしばらく読んでいたが、まもなく眠りに落ちた。

その文庫本は『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』(ちくま文庫、2004)。著者は、タレントの遙洋子である。元の単行本は2000年に出版され、じつに20万部を売ったという。売れる本はたしかにおもしろい。人に読ませるだけの筆致と巧みなストーリーをもっている。内容は、タイトルから知れるとおり、「フェミニズム」。タレントが東大でスパルタ式の社会学ゼミに参加してフェミニズムの本道を学ぶというお話。結局、1日で読破してしまった。それは、くりかえすけれども、おもしろい本だったからである。ただ、どうも後味がすっきりしない。気持ちよくない。今年読んで震えた
『マオ』や
『オシムの言葉』の読後感とも違うし、環境保護団体を批判しつつたっぷりエンターテイメントを楽しめた
『恐怖の存在』の読後感とも違う(あたりまえのことだが)。
フェミニズムの本を読んで、読後感がすっきりしないのは、わたしが「男尊女卑」を無意識に支持する反フェミニストであることの証にほかならない、ということではないと思う。自分はフェミニズム支持でも反フェミニズムでもなく、ただそれに興味のなかった男である。フェミニストからみれば、「興味のない」こと自体がすでに反フェミニズムなのかもしれない。そうならば、そう批判されても仕方ない。ただ、わたしのほうからフェミニズムを批判しようという気はさらさらない。読後の微かな不快感は、たぶん遙洋子というタレントの「背伸び」と関係している。関西に住んで芸能活動をしながら、東大の上野ゼミに通う。年間100篇の文献を読み、発表しては叩かれまくり、遅刻しては叱られまくり。そういう欧米型スパルタ式ゼミに、遙というタレントは苦悶しながら付いていく。それ自体は素晴らしいことだ。しかし、付いていくのに必死になるあまり、柄にもなく、文献というか「言葉」を過信しすぎるようになっている。それに、高名な東京大学の名物教授を神格化しすぎているのではありませんかね。ゼミでの文献講読、とりわけ「発表」が文献の「批判」であることを強調しながら、なぜ上野の言説や著作をいっさい批判しないのか。そもそも、なぜ、そんなにケンカ(=議論)に勝ちたいのか。ケンカに勝つ手段として、上野の権威を利用したいだけなのか・・・

香港国際空港に着いたのは、中国時間の午後1時(日本時間の2時)。4時間のフライトであった。ほんとうによく眠った。機内食もろくに食べず、トイレにも行かず、熟睡したまま着陸の振動を体に感じた。空港からそのままフェリーに乗り換えることになっているが、待ち時間が1時間半もあったので、スターバックスに入ってラッテを飲んだら少し落ち着いた。今日はまだ25日のクリスマスだから、
スタバもクリスマス一色。サンタの赤を基調とした飾り付けに目を奪われていたら、どこの航空会社か知らないが、スチュワーデスが入ってきて華やかさが増した。
聖誕快楽(メリークリスマス)!
午後3時半のフェリーで澳門(マカオ)に向かう。さすがにもう眠らなかった。遙洋子の文庫本を読んでいた。マカオのフェリーポートで入国手続きを済ませ、関空で預けたスーツケースを受け取った。街中のホテルに着いたら、もう夕方。
「ネットがつながる部屋をお願いします」
と頼んだのに、4階の部屋に入っても接続できない。明日、別の部屋に引っ越すことにして、夕食にでかけた。今晩だけ、フリーツアー向けの夕食がついている。タイパ島にある「小飛象(ダンボ)」というマカオ料理&ポルトガル料理のレストランはとんでもない賑わいで、われわれには予約席があったからよいけれど、フロアは待ちの客であふれていた。イブに26万人の中国人が大陸からやってきたんだという。目的はもちろんカジノだ。

ダンボで5年10ヶ月ぶりにポルトガル・ワインに対面した。白のハーフボトル。微炭酸なのか、シャンパンのような刺激をもつ白ワインであった。安いけれど、おいしい。上品な味。
ホテルに戻って、街を少しだけ歩いた。近くにあった「葡京手信鋪」という雑貨屋のような土産物店で、赤ワインとスナックを買った。店内の入口脇に関帝(グァンタイ)を祭っている。関帝とは、三国志の英雄「関羽」のことである。いきなり目的に出くわした。 わたしはポルトガル植民地としてのマカオよりも、ポルトガル植民地のなかの中国文化に興味がある。文化大革命で叩き潰された大陸の中国文化がマカオにはずっと生き続けてきた。マカオは、香港のような、恐ろしい都市化・国際化の波も経験していない。じつは、過疎と空洞化の進む小さな広東語圏の閉鎖域である。
中国のマカオではなく、マカオの中国。それが今回のフォーカスになるはずだ。

*連載「聖誕澳門」は以下のサイトでご覧いただけます。
聖誕澳門(Ⅰ) 聖誕澳門(Ⅱ) 聖誕澳門(Ⅲ) 聖誕澳門(Ⅳ) 聖誕澳門(Ⅴ)
- 2006/12/25(月) 23:56:27|
- 文化史・民族学|
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遥洋子遙 洋子(はるか ようこ)は、大阪府大阪市出身のタレント、作家、フェミニスト。「遙洋子」と表記。「遙」と「遥」は検索で区別されることに要注意。経歴
- 2007/01/17(水) 03:45:53 |
- mikaの日記