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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

聖誕澳門(Ⅲ)

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↑↓廬家大屋の大庁
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 今朝はセナド広場の「黄枝記」で、竹升麺(竹で麺打ちする極細麺)と皮蛋粥を食べた。1946年創業の有名な飲茶系レストランである。おいしい。あっさりしている。
 それから近くにある廬家屋敷(廬家大屋)を訪ねた。マカオに残る数少ない中国式大邸宅として世界遺産に登録されている。清末、光緒十五年(1898)の建築。中国の大富豪にして銀行家、マカオの「カジノ王」とも呼ばれた廬華紹(廬九)の旧宅である。南方中国に特有な「天井」(テンセイ=小さな中庭)をもつ2階建ての住宅。ステンドグラスをはじめ、ポルトガル風の装飾が散りばめられ、清末中国の過剰装飾を抑制して、えもいわれぬ微妙な中葡折衷の意匠を生み出している。
 1970年代には、20もの家族が住む集合住宅と化し、邸宅の傷みが激しくなっていたが、2002年から修復作業がおこなわれ、いまは無料公開している。マカオにはもう一つ鄭家屋敷(鄭家大屋)という世界遺産もあるのだが、こちらは修復中とのことで公開していないらしい。概説書にそう書いてあり、タクシーの運転手にもそう言われた。行けなくて残念だった。
 セナド広場の周辺には、ありあまるほどのレストランとカフェが軒を連ねているが、今日もまたスターバックスに入ってしまった。それは、小さな店にトイレがないから。ただ、それだけの理由で、わたしは数あるカフェの中からスタバを選択せざるをえなかった。そして、またしてもラッテを注文した。

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↑↓廬家大屋の天井(てんせい)と窓
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 休憩後、本屋に移動して何冊か専門書を買った。最後にみつけたのは『RC』という雑誌。正式な雑誌名と刊行者は以下のとおり。
  ・『文化雑誌』中文版第51期【2004年夏季刊】、澳門文化局出版
 ここにやっかいな論文をみつけてしまった。
  ・施 存龍「澳門的西方地名Macau、Macao由来考辯」
 論文名を日本語に訳すと、「西欧における澳門の地名Macau、Macaoの由来に関する考証批判」とでもなるだろうか。昨日のブログに書いた「マカオの語源」に関する最新の論文であり、わたしが紹介した「通説」にも強い疑問を投げかけている。ただし、本論は雑誌のなかの「討論」というコーナーに含まれていて、考証の結論を示す論文というよりも、むしろ諸説を批判する「論評」に分類されるだろう。まずは、著者自身がまとめた「要約文」の要約を示しておこう。

 <16世紀に中国にやってきたポルトガル人は、広東省香山県の浪白澳から同県の蠔鏡澳に移入していった。ここに漁港から商港への変化が始まる。わずかに遅れる明代の文献には「澳門」という地名も記される。ところが、定住したポルトガル人は蠔鏡澳とか澳門の音訳や意訳を地名とせず、Amacao、Macao、あるいはそれに類する言葉でこの地を呼んだ。この問題については、17世紀に西洋人が著した文献に異なる解釈がみられる。20世紀になってから、国内外の学者がこの地名の由来についてまちまちに議論してきたが、結論はでていない。マカオの中国返還を契機にマカオ史の研究気運が高まるなか、国内外の研究者は専門的な論文を書いたり、総論的な単行本の一部として発表してきた。わたしは『中国水運史研究』のなかで「澳門港のさまざまな地名の由来」という論文を発表した。あれから十年、中国とポルトガルの関係史を研究し続け、新たな認識を抱くに至った。自らの論文を振り返るに不満を覚える。論証は不十分で、論証したつもりのいくつかの観点は不正確であり、自分の学術責任を充実・修正する必要がある。一方、譚世宝などに代表される国内外の学者が最近発表した論考にも若干の疑問を覚えており、ここですっきりとした討論をしておくべきだろう。これは自己批判を含む考辨(考察と真偽の弁別)である。本文は以下の内容を含んでいる。

  1)西洋人が作成した初期の地図に左右されるな!
  2)1553-1555年のポルトガル語Macaoはすでに澳門半島を示している。
  3)フランス人漢学者の論点に対するコメント
  4)「泊口」語源説は誤りに誤りを加えたもの
  5)「馬角」語源説は証拠を欠いている。
  6)「岩石名・動植物名」語源説はありえない。
  7)「濠江」語源説はありえない。
  8)廟名「媽祖閣」・地名「媽閣」もまた語源ではない。
  9)「娘媽角」「阿媽角」「媽角」の神(「祇」)は事実に接近する。
  10)「阿媽神の港」語源説はありえるが、「阿媽賊」語源説はありえない。>

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 著者の施存龍が言いたいのは、おそらく次のことであろう。16世紀にポルトガル人が澳門に入植してきたとき、その半島の一部にAma(阿媽[=海人/海女])たちの神祠が存在した。その神祠のある場所は「阿媽角」と呼ばれていた。「阿媽角」は「媽角」と略称されることもあった。この「阿媽角」「媽角」の広東語音声を、ポルトガル人がAmacao(Amakau)、Macao(Makau)等と表記し、半島の地名にあてるようになった。なお、16世紀のポルトガル人はこの「角」をPort(港)と訳しているが、そこに漁港が存在したのであろうか。私見を挟むならば、「角」は日本でいう「崎」にあたる地形概念ではないだろうか(日本の漁民はしばしば「崎」に類する地形を「鼻」と言い表す)。この見方が正しいならば、「阿媽角」は「あまがさき」と訓読できる。
 一方、音声に目をむけると、「角」は北京語でジャオだが、広東語ではコであり、阿媽角は「アマコ」、媽角は「マコ」と発音されていたはずである。したがって、媽角(マコ)が「マカオ」の語源である可能性を否定できないであろう。ところで、「媽閣廟」の「媽閣」も広東語では「マコ」と発音される。「閣」と「角」の音声は、広東語ではコ(日本語ではカク)で相通じ、両者は同音異義の言葉である。そして、歴史的にみると、地形をさす「角」から、建築をさす「閣」に変わっている。これはアマの神を祭る神祠の形態変化を示すものではないだろうか。すなわち、急峻な「崎」の波打ち際に存在した素朴な神祠から、複数の殿舎によって構成される寺廟的外観への変化である。昨日、通説として紹介したのは8)だが、「媽閣」が「媽角」の転訛とみればほとんど同じ理解になる。
 長い論評で読むのに疲れた。というか、読み切れていない。ただ一つ思ったのは、江戸時代の日本人がマカオを「天川(あまかわ)」と読んでいた事実の重要性である。

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 さてさて、ネット代も高いので、今日から2日間だけ接続しようと思っていたのだけれども、台湾で大地震が発生し、部屋でのネット接続は不可能と宣告された。4階のひろい部屋から13階の狭い部屋にわざわざ引っ越してきたのに、このありさまだ。「ビジネス・センターではプロバイダーが違うので接続できます。ただでサービスしますよ」と説得され、センターにパソコンを持ち込んだのだが、接続は不安定極まりなく、ブログへのアップは何度も失敗した。それでも、なんとか25日分と26日分の文章だけアップできた。もっとも、文章は校正以前の段階だから、帰国後ただちに差し替えなければならない。

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ベトナムの寺廟ではどこにでもある、と言われた樹木を媽閣廟でも発見した。


 *連載「聖誕澳門」は以下のサイトでご覧いただけます。
   聖誕澳門(Ⅰ)
   聖誕澳門(Ⅱ)
   聖誕澳門(Ⅲ)
   聖誕澳門(Ⅳ)
   聖誕澳門(Ⅴ)





 午後はタイパ島を歩く。ポルトガル料理の老舗「ガロ」はダンボのすぐ近くにある。小路の町並みは中葡折衷。

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  1. 2006/12/27(水) 23:35:11|
  2. 文化史・民族学|
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