
すべったな・・・
客席のどよめきがほとんど伝わってこない。講演のタイトルは「『楼観』再考 -青谷上寺地遺跡のながい柱材をめぐって」で、パワーポイントの構成も昨年
11月18日の特別講演とまったく同じ。あの日は、考古学・古代史のマニアや専門家が青谷に集結したので、スピーチに対する聴衆の無言の波動をひしひし感じていた。とりわけ、「魏志倭人伝」絡みの部分はこの分野の愛好家にはたまらない内容だっただろう(とわたしは勝手に思っている)。事実、講演後、ある知り合いが挨拶に来て、
「中国の話がおもしろかったです!」
という感想をのべてくれた。唯一、わたしの講演に関心がなく、ぐうぐう寝ていたのが某大学院生であった。顔を真っ赤にして、体をそりかえらせ、シャツの隙間から臍がちらりと見えたりして・・・。

「人みて法説け!」
と大学時代の指導教官によく叱られたものだ。いまは、わたしが学生たちにそう訓じている。しかし、今日はわたしが失敗した。
魏志倭人伝の話は受けない。建築家や技術者を相手にする
建築士会の講演会で、魏志倭人伝にみえる建築表現の話をしても反応がない。じつは、わたしは結構あたらしい視点を示しているのである。「宮室」は一つの言葉ではなく、祭政施設としての「宮」(前朝=前堂)と居所としての「室」(後寝=後室)に分解できる。「邸閣」は大倉庫であって、妻木晩田などでみられる小さな高床倉庫は「桴京」(魏志高句麗伝)と呼ぶべきだ等々。しかし、それは別の場所で話すべき内容であることがよくわかった。
「楼観」の講演については、さらにオファーが届いている。今後、聴衆にあわせて、いくつかのバリエーションを用意しておかなければならないな。
講演後のパーティは遠慮させていただいた。やはり患者のことが心配なので、米子から「スーパーやくも」→「のぞみ」と乗りついで奈良まで戻ってきた。途中、岡山駅の新幹線プラットフォームで吉本の芸人さんたちとニアミス。大助&花子、阪神&巨人などの大御所がずらりと顔を揃えていた。じつは大助&花子さんとは一緒に仕事をしたことがある。ちょうど十年前だと思うのだけれど、建設中の朱雀門を舞台にして大阪ABCが「ほんまかいな平城京!」という特番を制作してくれたのだが、所長と大助&花子さんの会話がメインの番組で、わたしは研究所側の裏方を務めていたのである。当時の部長から、
「アサカワ、色紙20枚買って来い!」
と言われて買いそろえ、宮川花子さんにサインを書いてもらった。その色紙は、いまでもリビングの壁に飾っている。

↑花子さんの色紙(クリックすると画像が拡大されます)
- 2007/01/12(金) 23:49:06|
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