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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

「建築の保存と修復」講義を終えて

 先週の金曜日、「建築の保存と修復」講義を終えた。ようやく採点を片づけたところである。
 前期の「地域生活文化論」は環境政策学科・環境デザイン学科合同の講義で、じつに160人以上の履修登録者があり、不慣れな大教室での講義にとまどうことも少なくなかったが、「建築の保存と修復」はデザイン学科の単独講義である。履修登録者は、結局、63名にものぼった。それでも、160名にくらべればはるかに少なく、いつも使っている階段教室(13講義室)に戻って授業ができ、自分のリズムを取り戻せた。
 「建築の保存と修復」は、ムツカシイ浅川教授の講義のなかでも最もムツカシイ講義として知られている。ムツカシイのはなにより英語のテキストを使っているからで、昨年までは毎週15行程度のホームワークを課して不評をかこっていたが、今年の英文ホームワークはわずかに4回。残りの12回は、「理解度チェック」(授業内レポート)方式となった。このやり方が妥当かどうか不安もあったが、わたしは手応えを感じている。授業レポートを読むと、
   「この授業は続けるべきだ」
   「こういう授業方式を続けてほしい」
という肯定的な評価が少なくなかった。なかには、
   「眠るヒマもなかった」
という感想も含まれている。60分間の講義時間に、配布資料のブランクをきちんと埋めておかないと、残りの30分で良いレポートが書けないからである。
 ある女子学生に、授業内レポートとホームワークではどちらが良いか、と訊ねてみた。
   「授業内レポートのほう。断然、集中できます」
と彼女は答えた。
   「だろうね、採点する側も、授業内レポートのほうがおもしろいんだ。一人ひとりの回答に個性がでるからね。ホームワークにすると、課題をグループでやってるのが、すぐにわかるんだな。同じようなレポートがたくさん送られてくるんだから」
   「それはわかると思います・・・」

 最終講義は「9章抜粋」という約30分の短いスピーチのあと、60分(以上)レポートを書いてもらった。ラールセンの9章(結章)は日本を批判したり擁護したりの繰り返しで、本の締めくくりとしてはどうか、と思っていたのだが、今回読み直すと、改めて奈良ドキュメントとの相似性を強く印象づけられた。

 164ページに、次のようなことが書いてある。

 「日本建築の保存修復アプローチには西洋人にとって馴染みないようにみえるところがあるとしても、欧米人はその経験だけに基づいて日本の方法を批判すべきではない。建築の保存修復の主たる目的は、一国の文化的アイデンティティを守ることによって、人類の文化を豊かにすることなのだから、我われは保存修復手法における異なった文化的表現を容認せざるをえない。そうすることによってのみ、自国における建築遺産の保護と保存を向上させるための教訓を他国の経験から導き出せるのである。」

 要するに、文化は多様だから、文化遺産の修復方法も多様であり、その文化的多様性を互いに認めざるをえない、という文化人類学まがいの結論である。まるで「奈良ドキュメント」を要約しているような内容ではないか。ラールセンの著作の出版年は1994年。奈良のオーセンティシティ会議が開催されたのも1994年である。もちろんラールセンもその国際会議のパネリストであった(わたしはごく短時間だが傍聴席で討議を聞いていた)。奈良オーセンティシティ会議の筋書きは、すでにラールセンの著作の中にあったわけだ(これについてはユッカ・ヨキレット『建築遺産の保存』395頁も参照されたい)。
 わたしは「奈良ドキュメントは不要だ」と思っている。奈良オーセンティシティ会議は開く必要のなかった会議である。「ベニス憲章の精神を受け継ぐ」ことを前提としながら、結果としてみれば、奈良ドキュメントはベニス憲章の精神を骨抜きにしてしまった。木造建築の文化圏においても、十分ベニス憲章の根本理念をいかした(修正した)保存修復のあり方が可能であり、それを模索すべきであったにも拘わらず、「文化が多様だから遺産の修復も多様であっていい」という奈良ドキュメントの結論によって、日本は自国の修復手法の再検討を回避している。
 文化や地域を超えて大切なものは何なのか。それは「材料のオーセンティシティ」ではないのか。当初材や中古材などの歴史的材料を失っても、なおそのモニュメントは文化遺産と呼びうるのか。「材料のオーセンティシティ」を減じるような修復手法は、どんな国・地域の修復であれ一定の批判を免れえないのではないか。だとすれば、日本が最も得意とする「(当初)復原」という行為は、なお批判の対象として検討の余地を残しているではないか。
 「文化が多様だから、修復も多様であって良い」という奈良ドキュメントの発想は、この批判を免れうる最高のバリアとなった。その理念的背景にラールセンがいる。ラールセンのおかげで、日本は楽になれた。しかし、わたしはその現状に満足していない。





  1. 2007/01/26(金) 00:19:01|
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