大学院修士課程1年次中間発表会 あの日から10日経った昨日、「大学院修士課程1年次中間発表会」が開かれた。環境デザイン領域は午後1時からで、一人あたりの発表15分と質疑応答5分の計20分が割りあてられている。タイムスケジュール通りに進めるため、発表終了2分前(13分)に1鈴、発表終了(15分)時に2鈴、質疑応答終了(20分)時に3鈴が鳴らされる。発表は学籍番号順とされており、自分は1番手にあたっていた。
一昨日は再度ゼミにて予行練習をし、発表の内容やプレゼンテーションについていろいろご指導を受けていた。そういった事情もあって、じつのところ、前日までに正式なパワーポイントを学務課に納めていない。だから、大学側が用意したPCにデータを送るために開始10分前から発表位置に陣取って始まりを待っていた。1時前になると司会を務める領域長が挨拶し、1時のチャイムにあわせて会が始まった。
わたしの発表は、すでに報告したように、「建築の復原と復元」と題するもので、学部2年次から現在までに関わった民家建築の「復原」や遺跡・史跡の「復元(再建)」をまとめて紹介した。前日の練習で、時間通りにおさめていたのだが、今日は発言が途切れとぎれになって時間を浪費し、終了1分前近くに、浅川教授から「終了間際だ!」との指示があったのだが、その直後に2鈴が鳴り、発表は尻切れトンボで終わってしまった。この2週間、懸命に再検討してきた青谷上寺地遺跡の復元図を披露できなかったのが、まことに残念である。
「1鈴が鳴って、残り2分になったら急がなくてはいけないのに、まったくペースを変えなかったのはどういうことか?」
というお叱りをあとで教授から頂戴してしまった。
質疑応答では、司会の先生等から「事例の羅列にすぎないが、今後どうするか」などの質問をうけた。これについては、「年度変わりを目処に<復原>か<復元>のどちらかに軸足を移す」つもりだと答えた。また、<復原>や<復元>の概念についての質問もうけた。これについては、昨日のゼミで想定問答をしていたにも拘わらず、まったく答えることができなかった。あとで教授から「なぜ準備していた回答をしなかったのか」とのお叱りを頂戴した。
浅川教授からは、わたしに対してどんな質問がでても、自分(教授)は一切答えないと予め告げられていた。教授は質疑応答の時間は終始無言であった。指導されたのは教授だが、今回の発表はもちろんわたし自身の発表であって、教授の代弁ではないからである。ところが、他の院生が発表すると、その院生に対する質問に指導教員がフォローして回答するケースもみられた。指導教員によって教育の方法が違うことがよくわかった。
他の院生の発表を聴いたなかで、頭ひとつ抜きんでていた人がいた。その人は修士課程に入るなり、修了研究のテーマを決めていた。だからだろうか、その研究過程を黙々とこなしているようにみえた。その発表は分かりやすく、自分との差を感じざるをえなかった。
自分は環境デザイン領域に所属する全員の発表を聞いていない。発表会を午後3時で退席し、池田家墓所保存整備検討委員会に出席される浅川教授に同行したのである。修士課程中間発表でも報告した「池田家墓所木造建物の復元」は卒論のテーマであり、現在の整備事業の進捗を聞きたいと思った。

↑10代藩主墓廟所復元立面図 ↓11代藩主墓廟所復元立面図
第1回史跡鳥取藩主池田家墓所保存整備検討委員会 会場の県民ふれあい会館に到着して、まずは研究室で編集・刊行した
報告書を委員の方がたに配布した。ようやくお披露目ができて嬉しかった。その後、委員会での議事が始まった。
議題は、
ピエールが卒論で取り組んだ初代藩主光仲墓の唐破風の修復から。教授がいきなり「ステンレスの雇いピンを一切使わない接合方法で大丈夫か、構造の安定性を保証する科学的根拠はあるのか」という質問をされた。すると、「唐破風とそれを受けるU型鋼を接着するエポキシ樹脂が強力であり、接合した材を反転させてもU型鋼から唐破風が落ちない。約10トンの重さに耐える」という回答が業者からあり、出席者いちどう驚愕した。ちなみに、石の唐破風の重量は約1トンとのことである。
さて、これまで澄古墓、金三郎墓の玉垣修復が終わり、現在、光仲墓の玉垣を修復中である。この3基の墓の玉垣の修復手法はそれぞれ異なった。しかし、今後はこの3つの修復手法を応用して、残る玉垣の修復を進めていくことになった。今日、玉垣の修復手法を検討した墓は以下のとおり。
①延俊・定興墓
②清定墓他3基
③安之助墓他2基・豊之助墓・智春院墓
ここで問題となったのは「転用材」の扱いである。墓の玉垣には他の墓から持ち込んだ「転用材」が含まれているのである。浅川教授は「転用材バンク」が必要ではないか、と主張された。
転用材を玉垣から取りさってどこかに収蔵しても、事実上「廃棄物」と同じ扱いにしかならないから、「転用材バンク」に整理して保管し、必要に応じて転用材を加工し、玉垣の修復に再活用しようという発想である。いわば「転用材のリサイクル」である。いまや、福部産「南田石(のうだいし)」の採石は不可能になっており、境内や裏山に散乱する用途不明材や転用材は、貴重な南田石の資源であり、その有効活用が必要だと自分も考える。
池田家墓所とはじめて関わったのが3年前だが、いまでもこうして関わらせていただいている。このことは、とてもよい勉強になり、そして、そのありがたさを感じている。光仲墓石玉垣の仮置が終わると現地説明会が開かれるようである。是非、現地説明会に足を運びたいと思っている。(某大学院生)

↑「奥谷御廟所図」(鳥取県立博物館所蔵)
- 2007/01/27(土) 00:27:16|
- 講演・研究会|
-
トラックバック:0|
-
コメント:0