さきほど
後期の大学院授業を終えた。ユッカ・ヨキレット『建築遺産の保存 その歴史と現在』(アルヒーフ、2005)をなんとか読破した。本文444頁の大著を修士課程1年次の院生7名で輪読したわけだが、ほんとうに難解な著作で、院生諸君には大きな負担を強いてしまった。訳者の方も翻訳に大変な労力を注ぎ込まれたことがよくわかったが、それにしても、読みにくい本であった。
前にも述べたように、西洋建築史の専門家でないと分からない術語や固有名詞が頻出するだけでなく、もうひとつ「こなれた日本語」になっていない、という印象を全員がもったのも事実である。
それは、今日、最終章(第10章)の内容でもあきらかになった。431~432ページに平城宮跡のことがでてくるので、ここに転載しておきたい。
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奈良平城京の考古学的遺跡の場合、遺跡担当機関は、賢明に準備された長期にわたる発掘計画を作成した-この計画によれば、将来の世代は未だ手のつけられていない土地を研究のために「実査」することができるうえ、可能であればより進んだ技術を用いて検査と実態分析を行なうことができる。この遺跡では、公開を行なうために、いくつかの異なる方法が用いられている。例えば原初の断片は地下に残し、見学する人々には合成の鋳造物を見せることや、原初の構造を覆い屋の下で見せること、などがなされている。これと同時に、宮殿・住居・神社・門などいくつかの歴史的建造物を選び、それらを復元しているが、これは主に観光を目的としたものである-それはこのような建物のかつての様相を示し、比較的「平坦」なこの土地に、より多くの建物を配置するためである。このような復元を行なおうとする努力に関連していま一度問題となるのは、単体の建造物を正しく造るだけでなく、公開される遺跡全体のバランスを考慮し、歴史的インテグリティが保たれるよう配慮することであろう。
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いちいち訳語が気になってしまう。例えば「平城京」は「平城宮」、「実査」は「発掘調査」、「原初の断片」「原初の構造」は「当時の遺構」、「合成の鋳造物」は「復元建物」もしくは「遺構標示」と訳すべきであり、また、宮跡内に「神社」の復元建物は存在しない。正直いって、こういう日本語としての翻訳の問題は、訳者よりも監修者の責任に帰すべきものであろう。
文句ばっかり言ってはいけない。本書を読んで、まことに勉強になりました。本書を読みこなせないのは、わたし自身の不勉強のせいだということも重々承知しております。じつは、昨日未明、北海道考古学会からの依頼原稿を書き終えた。そのタイトルは「木造建築遺産の保存と復元 -日本の可能性-」でして、ヨキレットの著作からもたくさん引用させていただきました。謹んで感謝申し上げます。
- 2007/02/02(金) 00:05:17|
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