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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

池田光仲墓唐破風の取り付け

 鳥取藩主池田家墓所で、初代藩主光仲墓の玉垣解体作業を見学したのは2年も前のこと。修復工事に着手してから3年めにして、ようやく光仲墓玉垣の修復工事はフィナーレに近づいている。解体当時は墓域に小型クレーン(通称カニクレーン)を持ち込むことができず、すべての作業は手仕事でおこなわれていたのだが、今では工事用の仮設スロープがつき、現場にカニクレーンが導入されて作業が進んでいる。そして、この2月19~20日、修復工事のクライマックスともいえる光仲墓唐破風の取り付け工事がおこなわれ、玉垣はその雄姿を取り戻した。

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↑光仲墓玉垣のようす(20日:控え柱設置後)

 私は前々日に行なわれた修復工事現地説明会の際に「作業の進行具合によるけれど、月曜日(19日)に唐破風の取り付けをやるかもしれない」という情報をえていて、初日は午後2時ころ現場に向かった。池田家墓所に着いてみると、駐車場では作業道具を片付ける最中、慌てて光仲墓まで駆け上がった。そこでは、唐破風がカニクレーンで吊るされてはいるが、無事に元の位置に戻されていました。お話を伺うと、「今日の作業はここまで」とのことで、唐破風は翌日まで吊るされた状態のまま置かれ、20日午前9時から、唐破風の台座を固定するための控え柱の設置を始めることを聞き、安堵した。

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↑光仲墓唐破風のようす(19日)

 20日の今日、工事開始の9時から時間をおいて、池田家墓所についてみると、今度は控え柱が据付けら、垂直に立てられているかを確認し、それを調整する作業に移しており、正直にいえば、もう少し早く着けばよかったと思っている。
 さて、ここでいう控え柱というのは、棒状に立てられた柱ではなく、冂字状のステンレス製フレームのことで、唐破風の台座背面に設けた5つの爪(ブラケット)と控え柱をボルトで固定して災害時などの転落防止装置として設けるものである。控え柱自体は墓碑や玉垣の正面からみると、廟門の柱に隠れるように設計されており、景観に配慮されている。だから、控え柱は玉垣の内側に入らなければ目立たない。
 今日の作業は柱2本を各4箇所、ブラケットを5箇所、計13箇所のボルトを締め、注意深く位置を調整することだけだから、昼前には作業を終えた。ただし、唐破風は調整を終えるまでカニクレーンで吊るして支えていたため、最後に唐破風を元の位置に降ろした後に、ブラケット部分のボルトを締めなおした。以上がこの2日間に行なわれた唐破風取り付け作業の内容である。

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↑控え柱を取り付けるようす ↓玉垣内側、下から見上げた唐破風の台座と控え柱
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 唐破風につく棟飾りと小規模の修復工事を残すが、光仲墓玉垣の修復はほぼ完了して解体以前の姿に戻された。現在、光仲墓周辺は工事のため立ち入り禁止となっているが、修復された光仲墓の全景を遠望することは可能となった。 (某大学院生)





  1. 2007/02/21(水) 00:47:12|
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