今を去ること6日前、ヤケクソになって
エレガットを購入した際、
「この雑誌をおまけにつけてくれたらね・・・」
という条件闘争に挑み、勝利した。その雑誌というのは『jazz guitar book』12号(シンコーミュージック・エンターテイメント)。いちどは、「もういいや、この雑誌要らないから」と破談宣言をしたのだが、男女関係と同じで、追いかければ逃げるが、突き放せば追いかけられる。しばらくして、楽器店の若いマスターは「わかりました、つけましょう」とあっさりギブアップした。
どうも、『jazz guitar book』という雑誌はあまり売れていないようだ。売れているなら、おまけにつけたりしないだろうしね。その12号をみると、「ウェス・モンゴメリーの衝撃」を総力特集としている。ご存知のように、ウェス・モンゴメリーはチャーリー・クリスチャンに次ぐジャズ・ギター界の大御所だが、ジャズ界全体からみれば、そう重要な位置を占めるミュージシャンではない。そんなに多くの読者がこの雑誌を買うはずはない、と正直思った。わたし自身、ウェスはとくに好きなギタリストというわけでもない。個人的に好きなギタリストを3人をあげるとすれば、だれだろう。これは難しいな。一人はパット・メセニーでいいか。ジム・ホールも残るかな・・・あと一人・・・ほんと難しいな・・・コーネル・デュプリー???だったらクラプトンのほうがいいかな・・・バーデン・パウエルも捨てがたい・・・そう言えば、デレク・ベイリーという前衛ギタリストもいたぞ・・・

この雑誌が欲しかったのは、ウェスが得意とする「オクターブ奏法」を真似てみようと思ったからである。オクターブ奏法というのは、1オクターブ離れた同じ音を重ねて弾く奏法である。ギターの場合、単音ではホーンに敵わないから、リードの際の響きを強くするために、1オクターブはなれた同音を同時に弾くことで音の弱さをカバーしようとしたのであろう。もちろん、ウェスが独自に考え出したものである。たとえば、左手の人差し指でドの音を押さえたとすると、同じ左手の薬指で1オクターブ高いドの音を押さえて、中間の弦の音を人差し指の腹の部分でミュートしてしまう。右手はピックを使わず、親指だけで2つの弦をはじいていく。
技術としては、そんなに難しくないはずだ。ジム・ホールのように、メロディの一音一音すべてでコードが変わるような奏法は、いくらスローなバラードでも大変だが、オクターブ奏法なら常に二つの音しか押さえていないわけだし、その二つの音を押さえる左手の一差し指と薬指はほぼ平行関係を保っている。で、これを練習しようと思って、ウェスのレコードを一枚注文した。ネットで買える輸入盤である。届いたのは、名盤として名高い『インクレディブル・ジャズギター』(1960)でも、『フルハウス』(1962)でも、『ハーフノートのウェス・モンゴメリーとウィントン・ケリー・トリオ』(1965)でもない。
『ア・デイ・イン・ザ・ライフ』(1967)
若いころなら絶対に買わないアルバムだ。クリード・テイラーがプロデュースし、ドン・セベスキーのストリングス・アレンジで売れに売れたアルバムだが、発売当時は「あれはジャズじゃない、ただのイージー・リスニングだ」と酷評された作品でもあるからだ。
今は、そんなことはどうでもいい。ジャズでなかったら、何がわるいのか。耳さわりのよいヒーリング・ミュージック全盛の時代である。レノン&マッカトニーの「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」や「エレアノ・リグビー」が書斎の空気を柔らかくしてくれるではないか。それに、なによりオクターブ奏法のオンパレードなんだから。しかも、難しい曲はあんまりない。突っ張ってジャズっぽい難しい曲に挑戦したって、出来ないんだから。簡単な曲をたくさん練習するほうがいいんだ、絶対。素人なんだから、われわれは。
ちなみに、わたしがウェスのアルバムでいちばんよく聴いたのは『ライブ・イン・パリス』(1965)。あらら、車のなかでいつも聴いている
ダイアナ・クラールのアルバムと同じタイトルじゃないか。このライブに含まれる「
ラウンド・アバウト・ミッドナイト」は凄いから。
さて、輸入盤がもう一枚。ジョーパスがハーブ・エリスと競演した『ジョーズ・ブルース』(1965)。なんとも陽気なツイン・ギターのアルバムで、これは得したね。後年の偏執的なソロ・アルバムより、ずっと楽しめる。

さてさて、病院です。患者と二人、CTスキャンのネガをみながら、主治医の説明をうけた。たしかに、また別の場所から出血している。左脳の中心部からやや離れているので、大きな障害をおこさなかったようだ。それにしても、出血のスパンが短い。医師自身がこういう症例を治療した経験がないようで、断続的な出血に驚いている。わたしも主治医も、この連続する出血がガンマナイフ治療と相関する可能性があるように思っているのだが、問題は手術をおこなった吹田の医師がそれを認めていないことである。「ガンマナイフ手術と今回の出血は関係なく、ただ脳動静脈奇形の結果だ」というスタンスを崩さないとすれば、国立循環器病センターに患者をあずけることにも不安を覚える。そもそも、自ら手術した患者が3回出血をおこした段になって、ようやく面倒をみよう、という姿勢もいかがなものか。誠意ある医師ならば、すでに1~2度は奈良の病院に見舞いか往診に来てもよさそうなものである(吹田と奈良の病院は車で40~50分しか離れていない)。奈良の担当医師は「自分なら、自分が手術した患者の面倒は自分でみたいと思います」と言われた。たしかにそのとおりだ。
わたしは昨夜から動揺が隠せないのだが、息子のほうが案外冷静で、「お母さんが生命の危険に直面した場合、どちらの病院がそれを救う可能性が高いか」で判断すべきだとかれはいう。そのとおりだ。その点も訊いてみたが、大量に出血した場合の外科的手術はどちらもできるとのこと。ただ、「手術をおこなった病院が術後のケアをするのが自然」だとも言われた。
おそらく大阪にしばらく患者をあずけてみることになるだろう。しかし、場合によっては、話がこじれて奈良に戻ってくるかもしれない。
- 2007/02/24(土) 23:09:51|
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