
昨夜、病院に患者の外出届けを提出しておいた。今回の連続出血で、病院側も慎重になっており、なかなか「外泊」許可はおりないが、「外出」ならかまわない、ということで、さっそく夕食に連れ出すことにしたのである。昨晩、息子に「どこで食事しようか?」と訊ねたら、二つ返事で「東寿司」ときた。
息子本人が寿司を食べたいのは明々白々であるが、もちろん母親が息子の要望を拒否するはずはない。東京にいる長女をのぞく4名は、久しぶりに東寿司のカウンターで握りをつまんだ。
今日のお薦めに「ノレソレ」という訳のわからない魚の名前が書いてあって、聞けば「アナゴの稚魚」だという。これを軍艦にしてくれる。なんというか、ぬるっとした白魚って感じなんだが、なかなか喉ごしがよい。ほのかな甘みもある。なんでも、巻き網で引き上げられる際に「のったりそれたり」して生き残る強靱な生命力をもつことから、土佐方面で「ノレソレ」と呼ぶようになったらしい。画像がみたい方は、とりあえず検索エンジンをふかしてみてください。
寿司屋からいちど我が家に戻った。わたしは、またしてもメール処理に追われていたが、一同デブの帰還をまっていた。デブはなかなかあらわれなかった。娘がいちど裏口をあけて、デブを呼んでみたがやはり姿をみせない。消灯9時の時間も迫ってきたので、家内が立ち去ろうとしたところ、裏口で「ニャア~」ときた。
おかげさまで、デブは懐かしのおばちゃんと再会を果たしたのでありました。そして、わたしは患者を病室に送りとどけた。今日は昼間に新しい間物のパジャマを3着と身障者用のスリッパを2足買っていて、帰室後、新品に着替えさせた。緑のパジャマと水色のスリッパがうまくコーディネートされていて、よく似合う。

ところで今日は、各地から重大な情報がメールで送信されてきた。ひとつは、ガンマナイフのリスクについてだが、これは今のところ公表できない。手術を受けた患者もわたしも知らなかった重大な情報である。
もう一つは、2001年度に建設した妻木晩田初期整備第1号の復元住居(土屋根)が本日午後3時に焼失したという知らせである。書いてもよいかどうか迷っていたのだが、ブログのサーチワードに「妻木晩田 復元 住居 火災」という検索項目を確認できたので、すでにそうとう情報がひろまているのだろう。まだ、写真もみていないが、明日大阪のコンサルで
ピエールの進めている復原模型の検討をおこなうことになっており、詳細は妻木晩田遺跡事務所のスタッフから教えていただけるだろう。
じつは、昨年7月、ボランティアが自力建設した復元住居(茅葺)も火災にあっている。きな臭い匂いがしてきた・・・
- 2007/03/07(水) 23:45:42|
- 食文化|
-
トラックバック:0|
-
コメント:0