
ご存じのように、3月10日に
島根県立古代出雲歴史博物館が開館した。23日の午後、博物館を訪れると、一般駐車場は満車状態。博物館はお客様でごったがえしていた。
なんどもお知らせしてきたが、わたしは
出雲大社境内遺跡で出土した大型本殿跡の復元模型(1/50)の設計を担当した。
5人の建築史家が復元案を競いあったのだが、わたしは低いほうから2番目。高さ14丈(42m)の復元案で、出土遺構・遺物から最大限情報を引き出すことに務め、「杵築大社神郷図」に描かれた鎌倉時代初期の本殿を復元の目標とする画像に位置づけた。ほかに、8丈案(三浦)、15丈案(黒田)、16丈案(藤澤・宮本)の4作がおなじ展示ケースに陳列されている。ちょうど石塚尊俊先生がご来館されていて、車椅子に乗ったまま展示をみられていたのだが、復元模型のコーナーで立ち止まっていたわたしたちと遭遇。先生のご著作はたくさん所蔵しているけれども、面会するのははじめてで、学芸部長さんからご紹介にあずかった。わたしが名刺をおわたししようとすると、先生は車椅子からさっと立ち上がられた。
「わたしは、こういう仕事をずっとぼろくそに言ってきたんですけどね・・・」
「あらら、そうなんですか? あのぉ、こういう仕事のどのあたりが良くないのでしょうか?」
「いや、戦前からね、32丈はありえないけれども、16丈はありえるとかありえないとか、そういう視点自体がくだらない、と言っているのですよ。」
「わたしは16丈説はとっていないんですけれども・・・」
「あなたの案で何丈ですか?」
「14丈ぐらいですね・・・」

↑左から2番目が浅川案。 ↓背面からみた浅川復元案

5つの復元模型の横には、ごらんの通り、出雲大社さんが自ら制作費を出したという1/10の平安本殿模型がどが~んと展示してある。福山敏男の原案を立体化した大林組の復元案である。残念ながら、今となっては、この復元案を支持する研究者は日本全国探してもいないであろうが、平安本殿が出土していないだけに、まったく否定することができないのも事実である。
やはり展示が完成すると、博物館は重くなる。昨秋、博物館を訪れて
槇文彦設計の建物だけをみせていただいたときは気楽だったが、陳列品の一つひとつが凄いので、解説を聞きながら駆け足で展示をみただけなのだが、すっかり頭脳が疲弊してしまった。とくに開館にあわせた特展「神々の至宝」は、重厚さを超えて、宗教の恐ろしさすら感じさせる。宗像神社、春日大社、伊勢神宮などから借用してきた国宝級の展示品がずらりと並んでいる。ほんとうにこれだけの宝物をよく借りてこれたと思うし、借りて展示しようと企画したことだけでも賞賛に値するだろう。かりに拝借した宝物を微かなりとも傷つけてしまったら、どうなるのか。それを考えただけでも、ぞっとするではないか。
この特展を企画し推進したN学芸員は、いつもニコニコとして仕事をこなしているが、この4ヶ月間、休みはわずか「2時間」であったという。いや、ほんとうに素晴らしい仕事をやってくださいました。少し休ませてあげたいのだけれども、休んだ瞬間にガクッと倒れてしまいそうで、心配になる。こういうときには、もう、ずっと休まないで走り続けるしかないのではありませんかね。だから、「大社造シンポジウム」の原稿も、この勢いでよろしくお願いしますよ!

松江では田原谷遺跡を視察。中世の掘立柱建物(3間×2間)が出土しているのだが、その平面が杉沢Ⅲ遺跡の推定「拝殿」遺構や青木遺跡の本殿脇建物とよく似ている。今年度の調査はここまでだが、来年度は廃土を戻し、本殿推定位置を発掘調査することになりそうだ。
- 2007/03/23(金) 23:47:06|
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