昨日の午後、義父の運転する車で中国自動車道を鳥取に向かって快調に飛ばしていた。手持ちぶさたなので携帯を開いてみると、早朝7:52にメールを着信している。タイトルは「ただ今、帰国しました」。続く本文の内容は以下のとおり。
「ハノイ、ハロン、ニンビンを巡り、関西空港に無事に着きました。
今から、鳥取に戻ります。
ブログは全日程分をきちんとあげます。」
もちろん差出人はホカノ=某大学院生である。
メールに気がついたのは午後3時過ぎだから、もう鳥取に戻っているだろうと思って、「いまどこ?」と訊ねたところ、「今は、鳥取に向かう途中です。中国道の姫路辺りを通過しています」との返信。
・・・なんだ、自分たちの車とほとんど同じ場所ではないか。果たして、佐用インターを降りたあたりで、白い日交バスを発見した。あのバスに乗っているに違いない。というわけで、携帯を使って写真を撮った。

わたしたちは、平福の「道の駅」で一休憩し、運転を交替したので、バスは先に逃げていった。その後、院生は夕方7時すぎに大学にあらわれた。どうしたことか、強烈なニンニクの臭いをふりまいている。ベトナム料理はたしかにニンニクを使う。たとえば、空芯菜の炒めものにもニンニクのスライスが散りばめられていて、昨夏のベトナム調査時には毎晩食べていた。その後、Mr.エアポートは同室のチャックが寝床で放つ屁がニンニク臭いとこぼしていたが、それは仄かな香りを漂わせる程度の芳香であった(
わたし個人はニンニクが大好き)。院生が放つニンニク臭は、息子が好物とする天理ラーメンのそれをはるかに凌いでいる。いったい何を食べたら、これほど強烈なニンニク臭がふりまけるのか、訊ねたところ、
「王将の餃子です」
とのこと。どうやら院生は、帰国後しばらく大阪をぶらぶらして王将で餃子とモヤシ炒めを食べてから高速バスに乗ったらしい。それで、午後に奈良を出発したわれわれと同じ時間に中国道を走っていたのである。しかし、可哀想だと思う。だれがって、バスに乗っていた人たちが、である。あの鼻をつんざく強烈な臭いがバス中に充満していたのだから。
それにしても、8泊9日の調査旅行であるにも拘わらず、なぜブログは3日分しかアップされていないのだろうか。おかげで、またわたしはブログを休むことができなかった。ブログというのは日記であり、日記はフィールドワークにとって欠くべからざる記録である。その日書くから日記なのであって、帰国してから書いても、当日の鮮烈な体験が完璧に蘇ることはない。「
倭文日誌」を担当してきた大城やMr.エアポートは、夕方になると、まずパソコンに向かってブログを書いていた。大城はそれを半年続けたのである。院生本人はわたしに対して、「すでに3日分の日記を書きためています」と釈明したのだが、これが真っ赤な嘘であるのはまるわかりだ。それが証拠に、院生はMr.エアポートに電話して、「ブログ書いて!」と頼んだらしい。これが我が社の大番頭でございます(来年度早々、体制を刷新する予定)。

一夜あけて、今日はまた会議日。これをこなしたわたしは、スーパーはくとで奈良にとんぼ帰りした。なぜかというと、予定を1日早めて、家内が県立奈良病院を退院したからである。ただし、
前回の退院とはちがって、今回はそれほど喜んでいない。なぜかというと、この病気はいつ再発するかわからないし、4月16日から吹田の国立循環器病センターに短期入院することが決まっているからだ。それでも、みんなの大好きな「お母さん」が家に帰ってくるのだ。少しでも長く傍にいてあげたいではないか。わたしはお土産に近鉄西大寺駅でシューアイスを買って帰った。ところが帰宅してみると、おばあちゃん(家内の母親)が「退院祝い」のスペシャル・ケーキを用意していて、まずはそのケーキをみんなでたいらげた。いや、良かった、よかった。
明日は市役所に介護保険と身障者の書類をもっていく。早くヘルパーさんをつけて欲しい。
- 2007/03/29(木) 23:55:27|
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