「家伝書」の検索結果 7件中 1 - 7件表示
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入稿ラッシュ!
6月も終わる。今月は報告書の入稿のために奔走した。以下の3つの入稿をとりあえず終えた。 ・6月8日(金) 『加藤家住宅の実験』入稿 ・6月22日(金)『出雲大社の建築考古学』入稿 ・6月29日(金)『尾崎家住宅-建造物調査報告書-』入稿 すべて金曜日なのがおもしろいでしょ。これはですね、3・4年生
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青柳山安楽寺(Ⅰ)
湯梨浜町宇野の尾崎家住宅に対面する青柳山安楽寺は、真宗大谷派(東本願寺派)の寺院だが、もとは一ノ宮神宮寺千二百石配下の天台宗の一院であった。本尊は薬師如来。16世紀後半まで宇野の後方丘陵南麓、僧ヶ谷に一堂宇を構えて「正来院」と号していた。正来院の堂宇は大永~天正の兵乱により焼失し、天正9年(158
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堅田門徒の道(Ⅲ)-家伝書からみた尾崎家のブツマ
明治45年の古写真に映る移築前のブツマは、中世に建立された「道場」なのであろうか。昨年の調査では、尾崎家に残る家伝書の解読に腐心した。尾崎家の建造物と係わる重要な記載は以下の2ヶ所にみられる(當尾崎遺命家傳實録)。 まずは3代清右衛門[1647-1697]のとき。 夫字蔵屋敷と申地ニ近郡ニ而は
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堅田門徒の道(Ⅱ)-「門徒造」の道場
湯梨浜町宇野の旧家尾崎家の祖先は、山口の守護大名「大内義弘」の子孫にして船主であったと伝承される。尾崎家の初代当主、弥次兵衛は永正元年(1504年)26歳のときに、宇野の近海で難船して宇野浦に漂着し、そのままこの集落に定着した。尾崎家の家伝書「當尾崎遺命家傳實録」(天明元年/1781年)には、「當
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家伝書と家法書の撮影 -尾崎家住宅補足調査(Ⅲ)
本日、尾崎家に代々伝わる家伝書2冊と家法書1冊の写真撮影をやっちゃん01号と一緒におこなってきました。前回も家伝書の撮影をしていますが、この時は「當尾崎遺命家傅實録」のみの撮影でした。一方、この家伝書とともに同じ包みに納められた他の家伝書2冊と家法書1冊が含まれており、今回はこの3冊を撮影した次第
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家伝書の再撮影 -尾崎家住宅補足調査(Ⅰ)
暑かった夏も終わりに近づき秋の風を感じながら、本日湯梨浜町尾崎家住宅にて家伝書の撮影をおこないました。前回の調査で撮影したものの中に手ぶれのはげしいものがあり、再度ぶれないように方法をかえて撮影をおこなうことが今回の目的でした。撮影方法については鳥取市教育委員会文化財課の佐々木さんにご指導いただき
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はんどで冷やしたスイカの味
午後3時の休憩でいただいたスイカに9人がむしゃぶりついた。大きなスイカだから、とても一人や二人でたいらげられるものではない。 一人住まいのわたしなど、スイカを買う気にすらならないが、こういう大勢の調査では、とんでもない威力を発揮する。汗をかいたあとのスイカは、こんなに美味いものなんだ。大人数で食べ
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